こんにちは、藤原です。
暑さが本格的になってきましたね、皆様はいかがお過ごしでしょうか。特に怖い熱中症ですが私自身、学生時代に部活に帯同いただいた栄養士の方が仰っていたのは酷暑には「梅干し」「オレンジジュース」「プロテイン」この三点セットが効くそうです。身体が少しだるい方は是非お試しください。
さて本日の表題は「ファッションを愛する全ての皆様へ」と称しまして私自身がファッションに対してどのような考え方、どういった服を好むのか等パーソナルな部分について触れさせていただきご検討の一助になる事を願います。
「ファッションとは自由である」
ある種哲学めいた言葉ですが私はこの言葉が全てだと考えています。これは私なりにファッションの歴史を服を通じて紐解いていき時には自身において慣例やしがらみがある世界に身を置いたことのある経験から生まれた言葉だと思います。例えば現職の紳士服オーダーメイド品の世界で申し上げると所謂「シワ」に対して私たちテーラーは異常なまでに「拒否反応」を示します。「シワ=美しくない」「シワ=身体に合っていない」という認識が日本における共通認識だからなのです。ではそれが全てなのか、私の答えは「NO」です。というより「Neither」どちらでもありません。それが計算された美意識・美的感覚であれば。

(以上WEBより引用:AD2009 コムデギャルソン)
皆様にとってこのジャケットはどのように目に映るでしょうか。「シワすごい」「どうやって着るの」「かっこいい」その意見全てが正解だと思います。問題はその先でこの洗練されたジャケットの雰囲気はここでは書き切れませんが「素材選び」「フェードによる経年変化」「パターン」「勘」などどのように解釈するのか、過程に対して想像し携わった方へ敬意を示す、そして何より着倒す。それら全てから得られる高揚感や不満がまた一つファッションに対する審美眼を持ち上げてくれるのではと考えています。

(以上WEBより引用:2014AW THOM BROWN COLLECTION)
続いてこちらはどうでしょうか、紳士服の神格化が強い方は抵抗感があるかもしれません。ちなみに私はこのブランドが大好きです。アメリカントラッドの世界所謂「3つ釦段返り」「袖釦2つ」など決定づけられたディテールが多い世界において唯一モードへ昇華させることが出来たと言っても過言ではありません。「THOM BROWN」は「丈感」をアイコニックに提唱します。パンツ丈はくるぶしより上でダブル幅は6.0cm前後、袖丈を通常位置より6.0cm短くするスタイルはセンセーショナルな物であったと確信しています。見方によれば反骨心とでも言いましょうか、伝統的な世界において世界に発信する勇敢な姿勢には脱帽せざるを得ません。
「自由」すなわち「熱」であり「感動」であり「敬意」であり何に置き換えるることも可能ですが確かなのはそこに「心が動くか」そうでない服、ショップには未来はないと敢えて断言させていただきます。
この信条を胸にするまでに数多くの環境化で服に触れてきました。特に私の中で色濃く残るブランドは「Dickies」「Carhartt」「Martin Margiela」「OUR LEGACY」「BrooksBrothers」「Drake’s」「鎌倉シャツ」このあたりでしょうか。もちろん「Barbour:オイルドジャケット」「MACKINTOSH:チェスターコート」「lavenham:キルティングジャケット」といった鉄板どころから得られるのは「恒久的なカッコ良さ」はもちろんですが、もしかすると「Dickies」「Carhartt」といったタフなアイテムを好む私としては必然かもしれませんが振り返ると一貫して「メンズらしい」「洗練された空気」に価値を見出す癖があるのかもしれません。
少し毛色の違う「Maison Martin Margiela」ですが現在の「Maison Margiela」のようなマルジェラらしい再構築をメインとしたブランド力を前面に出したかっこよさは別口で良いのですが初期の普遍的なアイテムにまるでタグだけが付けられたようなアイテムに心躍ったのを今でも覚えています。しかもカレンダータグを切って着る。ブランドの真の姿が見えるのは振り返るとこの瞬間だったと個人的に実感しています。ただ今のマルジェラはラグジュアリーブランドとしての一面も併せ持つためカレンダータグ含めてブランディングだと思いますので現行品については切らないほうがオススメです。
いかがでしたでしょうか。
私のパーソナルなファッションに対する考え方の一部をお見せできたのではないかと思います。また上記挙げたブランド以外にも思い付きで発信しますので次回またご覧いただけますと幸いです。