こんにちは。藤原です。
ジトジトと暑い日が続きますね。カラッとしない分息苦しい日が続きますが、暑さをしのぎつつもファッションをお楽しみください。
さて本日の表題は「ファッション偉人伝#3」中でも本日はブランド「KENZO」でも知られているデザイナー「高田賢三」について深堀していき皆様とヒントを探っていきたいと思います。
高田賢三(たかだ けんぞう)は1939年に兵庫県姫路市で生まれた高田氏は、彼は幼少期から芸術に興味を持ち、特に絵画とデザインに情熱を注いでいました。高校卒業後、ファッションの世界に進むことを決意し、東京のファッション学校を卒業しました。
文化服装学院卒業後は小池千枝の紹介で浅草橋のアパレル会社「ミクラ」に松田光弘と共に入社、その後、学院同期の北原明子が働いていた「三愛」に松田と共に移り4年ほど務める。1964年に海外旅行の自由化がされると三愛に6か月の休職願いを出しフランスに渡る。そのままフランスに留まり、「ビューロードスティル」に勤めた後に1970年に独立しました。
同年1970年高田は自身のファッションブランド「KENZO」を立ち上げました。このブランド名は、高田の愛称である「ケンゾー」に由来しています。彼のデザインは、エキゾチックなパターンや鮮やかな色使い、遊び心のあるアプローチで知られていました。高田は日本の伝統的なデザインやアート、さらには自然や文化からインスピレーションを得て、独自のスタイルを追求しました。
1993年高田は「KENZO」をフランスの高級ブランド企業であるLVMHモエ・ヘネシー・ルイ・ヴィトンと提携させ、ブランドのグローバル展開を進めました。この提携により、「KENZO」は世界各地で展開され、高田のデザインはますます広まりました。
1999年高田は2000年春夏コレクションを最後に「しばらく休んだら、また新しいことをやりたい」そう言って高田は「KENZO」のクリエイティブディレクターを退任しました。その後は一時的にファッション業界から離れ、個人的なプロジェクトに取り組みました。
高田賢三はそのキャリアを通じて伝統的な日本の美意識と現代のファッショントレンドを融合させたユニークなスタイルを作り上げました。彼のデザインは常に新鮮であり、大胆な色使いや独創的なパターンが特徴です。また彼は日本の文化やアートに深い愛着を持ち、それらを自身のクリエーションに反映させています。
そして2020年、パリ郊外のアメリカン病院で静かに息を引き取りました。病名は「新型コロナウイルスによる合併症」で享年81歳でした。パリのアンヌ・イダルゴ市長は「素晴らしい才能を持ったデザイナーとして、彼はファッションの世界に色彩と光をもたらした。パリは息子の死を悲しんでいる」と述べた。
それでは彼の作品を見てみましょう。
Le couturier Kenzo Takada et ses mannequins à la fin du défilé Prêt-à -Porter Homme Printemps-Eté 1999, juillet 1998, Paris, France. (Photo by Alexis DUCLOS/Gamma-Rapho via Getty Images)
いかがでしょうか。
KENZOのブランドコンセプトは「対極にあるものが見せるコントラストがインスピレーションの源」素材・色・文化を組み合わせ、「色」、「旅」、「自然」をテーマとしてコレクションを作成しています。エキセントリックでユーモアがあり、フレンチの香りがするデザイン群は多くの遺産を残してくれました。彼から何を学ぶのか、何を受け取るのかはご自身で見てみて下さい。
脱線したお話でした。