こんにちは。藤原です。
丁度季節の変わり目とでも言いましょうか、少し肌寒い日々が続いていますね。WBCの躍進やマスクの任意着脱、お花見シーズン、来月末に控えるGWなど良い知らせが増えてきていますが気温の変化が大きいこの季節は体調を崩しやすい日々でもあります。ぜひ皆様にはご自愛頂きながらもファッションをお楽しみいただけると幸いです。
さて本日の表題は「ファッションとは#4」です。中でも本日は「モードの世界:メゾンマルジェラについて」へ皆様をお連れ致します。
そもそもモードとは何か。言葉の起源はフランス語でモード「MODE=流行、ファッション」です。その発生の起源は諸説ありますがスーツの起源と共にあります。イギリスでは当時スーツは身分や階級を示す装いでした。そこで下流階級の人々は反骨心からスーツを揶揄した服や社会主義的な統一性から逸脱した装いが発生の起源とされています。光を見る機会のなかったモードはピエールカルダンやKENZOによって1960-70代より脚光を浴びることになります。日本では1980年代パリコレクションによりいわゆる「DCブーム」によってコムデギャルソン、ヨウジヤマモトが喪の印象だった「黒」を世界中に提唱、センセーショナルな着こなしは「黒の衝撃」として新たに再定義されました。
そんなモードの世界ですがブランド発生から現代にわたって圧倒的なファン数を持つブランド「メゾンマルジェラ」についてご紹介いたします。
「Maison Martin Margiela:メゾンマルタンマルジェラ」
1977年ベルギーにあるファッション専門学校アントワープ王立芸術学院に入学しました。当時の同級生6名を総称して「アントワープ・シックス」と呼ばれ後に世界的に影響を与えることになります。この6名は上記コムデギャルソンのコレクションに影響を受けました。マルタンは創立者にしてそのデザインを長年にわたり担ったマルタン・マルジェラは、デビュー当時こそコレクション等に顔を出していたこともあったようだが、しだいに公の場に姿を見せることはほとんどなくなっていき、その素顔を知る人物はファッション業界関係者でさえ極少数。雑誌のインタビューもFAXで質疑応答するなど、ミステリアスな存在として知られてきた。2008年に引退しており、このブランドとはもう関わっていない。ジョン・ガリアーノのクリエイティブディレクター就任を経て、2015年よりブランド名を“メゾン・マルジェラ”(Maison Margiela)に変更しています。2019年ドキュメンタリー映画「Martin Margiela: In His Own Words」(2021年日本公開「マルジェラが語る“マルタン・マルジェラ”」)に出演しており、現在は 2021年現代美術ギャラリー「Zeno X Gallery(ゼノ・イクス・ギャラリー)」(アントワープ)に所属しています。
デザインの方向性としては「反モード」を掲げており、なかでも軍服のリメイク品や中古ジーンズに白ペンキのペイント等の作品は「ポペリズム」(貧困者風)と呼ばれた。それまでの煌びやかで優雅な雰囲気を持つ「モード」とは対極のコレクションとして「デストロイコレクション」とも呼ばれ、以降マルジェラの代名詞ともなりました。コレクションではモデルに頭からすっぽりと布を被せて顔を見えなくさせたり、また服ではなく服を印刷した看板を首から前後に掛けたり、コレクション中BGMを一切流さないなど、とにかく斬新なショーを展開し一躍脚光を浴びました。
今回ご覧いただくのは2022-23awよりマルジェラのアーティザナルラインのコレクションルックを一部抜粋したものをお届けいたします。
いかがでしたでしょうか。
本来コレクションラインはブランドを象徴するショーの為リアルクローズのアイテムは出てこないことが多いですが、ブランドの本質を見ることが出来ます。マルジェラ本人期と呼ばれる本人作成以降の物はマルジェラではないと論争が起こるほどのエネルギーを持つブランドは世界を見ても稀有な存在。まるでアートを見るようにご自身で見極めて頂き、少しでも気になる方は青山本店へ足を運んでみて下さい。
スーツから遠い脱線した服の話でした。